4、塾講師のアルバイト試験

塾講師のアルバイトは大学生がするもので、いい大人が年甲斐もなくやるものではないと思う。

それなのに私は31の時、成田にあるとある個別塾の講師募集の採用チラシに飛びついてしまった。

当時やることもなく家の中でぶらぶらしていた私にとって塾講師のアルバイトは魅力的だったのだ。
そもそも家の外で働くこと自体がニートの私には刺激的だし、いい加減ニートはどうかと思っている最中ということもあった。
とりあえず応募の広告に申し込みの電話を入れた。
間の抜けたおっさんの声だ。
「あなた学生さん?」
「いいえ31の社会人です」
「あ、そう。では面接とテストがあるので今月の23日に筆記用具と履歴書持って本社に来てください」
まあ間の抜けた声でしっかりしたことよく言うよと思いながら電話を切った。
テストがあるということなので書店に赴き中学生向けの問題集を購入して早速勉強した。
だいぶブランクがあったので大変だったがほうほうの体で切り抜け面接試験当日を迎えた。

試験会場の本社に行くと15人くらいの若人の集団が席にちょこんと座っていて、見ると皆大学生くらいでいい歳したのは私だけであった。
こっぱずかしかった。
ちょうど私の席から見て桂馬の位置にいる大学生と隣の大学生がニヤニヤしながらなんか話している。
ああ俺のこと言ってるんだな。俺がかっこいいからひがんでいるんだなと統合失調症特有の被害妄想に襲われながら筆記用具の用意をした。
そんな病的な一面を垣間見せているうちに試験官が現れ、色々と説明した後試験が行われ始めた。私はなんだかうんこがしたくなってしまった。

すいませんうんこしてきていいですか?とも言えずフガフガしていたのだが、ついにうんこはピークに達し肛門の外に迫る勢いとなった。事ここに至ってはどうしようもなく私は腹を決め(うんこだけに)、こんな小ボケはどうでもよく試験官に排便の意思を暗に告げてそそくさとトイレへと駆け込んだ。

このことは誰に言っても信じてもらえないのだがその時の脱糞の快感は今までに体験したこともない素晴らしいものであった。桂馬の位置にいたあの学生にも伝えたい程であった。
そんな快感が助けてくれたのか分からないが、席に戻って解き直したテストは完璧な出来栄えで受かる事を確信し、その後の個別面接もそつなくこなし悠々と自宅への帰路につくことになる。

後日、採用不採用の通知の電話が来た。
結果不採用。
なんでやねーん。やっぱり歳のせい?
あのうんこを思い出した。それはまさに一本糞と呼ぶにふさわしい代物であった。
試合には負けたけど勝負には勝ったような気もする。
こうしてまだ山口は冬の時代が続く。。。

3、昼下がりの惨事

小学2年生の時に学校で流血騒ぎがあった。

事を起こしたのは隣の組の高山君という児童で、食べ終わった給食を片付けている時の事件であった。
たしか「チャゲ」とか呼ばれていた児童だ。じゃあ「飛鳥」はいたのか?と聞きたいだろうが今は無視する。
高山君は牛乳瓶を運ぶ係で、みんなが飲み終わった瓶を階段でこけて落として割ってしまったのだ。それで割れたガラス瓶でまぶたの上を切ってしまった。

運んでる途中に階下にいた児童が高山君を挑発して、その挑発に見事に乗ってしまったという事件だ。凄惨なものだ。
チャゲ、お前飛べるか?飛べるか?と悪童達は高山君をからかい、高山君は牛乳瓶が30本くらい入った籠ごと階段をジャンプで飛び降りた。それでクラッシュしたというわけだ。
全部が全部ということではないが、空のガラス瓶が数本割れ高山君のまぶたの上を切った。その結果流血し、まとまっていた女子の何人かが悲鳴を上げた。

赤い血が飛び散るというのは小学2年生の私にとってはセンセーショナルな出来事であった。
今でもその光景は目に焼き付いている。
牛乳を飲む時、思い出す程だ。おーこわ。

2、高崎へ珍道中

私が大学生の頃、高崎に住むおじちゃんの家に遊びに行ったことがある。私と妹と従姉妹と婆さんとその婆さんの妹の5人で。

地元から上野までは鈍行と快速を乗り継ぎ、上野から高崎までは新幹線で行く手はずになっていた。
新幹線などは高校の修学旅行以来で否が応でも胸が高まった。皆同じく興奮しているようだ。
とっくの昔にあがったであろう婆さんと婆さんの妹も期待で胸が熱くなっているのか目を輝かせていて、無駄に新幹線の車内で茶や菓子などを購入しては飲食していた。

皆独自に楽しんでいる最中、汽車は無事高崎に到着した。
新幹線から降りる際には改札口で普通の乗車券と新幹線の切符を同時に挿入しなければいけないのだが、婆さんの妹は間違えて普通の乗車券だけを入れ新幹線用のは忘れてしまった。
当然の如く改札口の小さな扉は閉まって、婆さんの妹は「ひいっ!」と驚きその場で立ち往生した。すかさず従姉妹が「2枚同時に入れるんだよ」と助言し、婆さんの妹は渡りに船とばかりに2枚同時にいれ事無きをえた。

この驚きようが胸を打ったのか分からないが、婆さんは自らの妹をここぞとばかりにからかった。「いやあ、おせ(婆さんの妹の名前)のびっくりかたったらなかったね。ガチャン、ひょーびっくり、ひょーびっくり、とこういうわけだよ」と形態模写し大袈裟にふざけてみせた。婆さんの妹は「しょうがないじゃないか。知らなかったんだから。まるで警察に捕まったようだったよ」と先の行為の弁解をしたのだが婆さんは、いいえいくらでもからかってあげますよと「ガチャン。そーれびっくり、そーれびっくり!」と追撃の手を緩めなかった。

婆さんの奇行で無意味に険悪なムードに包まれながらも我々は無事、高崎のおじちゃんの家に到着した。
高崎のおじちゃんは我々の来着を大いに喜び、豪勢な寿司をもって歓待してくれた。

寿司に舌鼓をうちながら皆よまやまばなしに花を咲かせている最中、おじちゃんは年若い私に興味を示し「健一君(私の名前)は大学で何を勉強しているのかね?」と質問してきた。私は「経営学です」と答えると「ほー経営学ねぇ。経営学かぁ」と私はおじちゃんのハートに火をつけてしまった。おじちゃんは「経営学とはまた立派な学問をやっているねぇ。授業はさぞ楽しいだろう」などと発言した。いえいえ毎回ポッキー食べながら講義は聴いていますなどと応えられるはずもなく「はい。まあボチボチです」とお茶を濁した。

後日聞いたところによるとおじちゃんは松下幸之助の直弟子だったらしく、松下電器の関東支部の社長だったというのだ。そんな事知ってればツテでいい就職先が見つかってたかもしれない。後悔してももう遅い。その後20代私は冬の時代を迎えることになる。
そもそもポッキー食べながら勉強してる時点で周りの人間とは大きな差ができてしまっていたのだ。とほほ^^ ;

1、筋ドルの怒り

小学3年の頃だと思う。

私と悪友達は担任の佐藤先生に引っ叩かれた。

確か4人で掃除の時間なのに教室で野球をやっていた。
ボールは新聞紙を丸めガムテープで固めたもので、バットはホウキを使用していた。そんな急ごしらえの道具で遊戯に没頭していたのだ。
真面目に掃除をしている女子からは顰蹙を買い、我々は「うるせえ、馬のけつ!」と意味不明な罵詈雑言で応酬した。
馬のけつ達は冷ややかな目を我々に向けながら掃除をしていて、野球に興じている児童には目の上のたんこぶであった。

私の打球が二遊間を抜けてタイムリーになり、興奮しているところに佐藤先生は教室に入って来た。ちょうどその時、私は女子達に「イエイ!このヤロー!」と威勢よく啖呵を切った途端のことであった。

「お前ら何やってるんだー!」と佐藤先生は顔面を真っ赤にし青筋を立てて怒り狂った。
意表を突かれた筋ドルの来襲に我々は全身凍りついてしまい、野球どころの騒ぎではない。
「お前ら一列に並べ!」佐藤先生の怒りは収まらなかった。我々を教室の端に横一列に並べると、順にビンタをし始めた。
パチン、パチンと勢いよく音が鳴る。私も覚悟を決め潔く引っ叩かれた。痛い。
ただ梨木だけ一人これを良しとせず、両手で両頬をガードしビンタから逃れようとした。
佐藤先生はその男らしくなさが頭にきたのか梨木の両手を無理やり下ろし、右頰と左頬の両方を引っ叩いた。我々の他のメンバーは片方だけだったのに。

この事は梨木が悪いと小3ながら感じた。
カンカンに怒ってる大人から卑怯にも逃げようとしたのだ。いくら痛いのが嫌だといっても逃げられる訳ないじゃないか。
潔く生きることが大事だという事をひどく痛感した事件であった。