4、変な劇作家

小学校の卒業式直前に卒業生を送る会というものが催された。

そこで私達6年1組は劇を披露することになり、脚本は私が担当する段取りが組まれた。
担任の渡辺先生からの直々の依頼であったのだが、何故に私が選ばれたのか分からない。しかし私は当時、文章を書くということに幾分か興味があり作文のテストなどでも良い成績を残していたことが原因かと考えられる。

私は奮起した。
演劇を書くなど初めてであったが、自分が作り出したものを人が演じるということに非常にワクワクし具現化することに胸が踊った。
私は一心不乱に書いた。

出来上がったものは桃太郎が雑多な英雄達を引き連れて鬼退治をするというもので、道中で変なおじさんなどとも巡り会い月曜日はハンジャラケ体操も踊ったりと奇想天外なものであった。
私は手応えを感じ、卒業生を送る会も無事終わった。

その後ハタチの時、卒業時に埋めたタイムカプセルを掘り起こし当時の思い出を酒宴の席で語り合うという同窓会が行われたのだが、そこで衝撃の事実が発覚する。
なんと私の作った劇が大不評だったのだ。

元学友から「あの劇、誰が作ったの?全然面白くなかった」と直接に攻撃された。
私は「知らねーよ(苦笑)」とその場をやり過ごし、一人心の中で泣いた。
確かに当時は誰作かは明かされてはおらず、元学友の訴えは致し方ない。しかし、変なおじさんに手応えを感じていた私は大きく傷つき、そうです私が変な劇を作ったおじさんです、なんて冗談も言えず静かに深くうなだれた。

今自省して思い起こしてみても、あの当時のあの劇はただ単に変なおじさんやハンジャラケ体操をこの手で操りたいという「だいじょぶだぁ」にインスパイアされたものに過ぎないものであった。私が志村けんを無駄にリスペクトした結果生まれた産物であった。何ゆえ桃太郎と志村がミクスチュアされるのか謎である。まあ小学生の考えることは大人がいくら考えたって分かるわけがない。分かることは小6の私は志村けんに感化され、周りの人間をも志村テイストにしたかった人間であったということだ。

最後にだっふんだとだけ言っておこう。