2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

13、赤兎馬個別指導塾

私は大学時代、自宅の一部屋を教室にしたマンツーマンの個別指導塾を開いていた。経営者も従業員も私一人のお気楽なアルバイトであった。 家庭教師を経験したことのある人は分かると思うが、教える事の容易さは生徒の学力や理解力にかなり左右される。簡単に…

12、とにかく明るい統合失調症

私には大親友と呼べる友人がいる。 彼も私と同じく統合失調症を患ってて、私と同じくちんぽこを携えている。 ひろゆきとよぼう。ひろゆきとは20年の付き合いだ。 最初は平凡なやつだなあとタカをくくっていたが「タリーズコーヒーの”タリー”は甘ったりーの”…

11、しょんべんライダー

電車の中で尿意を催すことほど厄介なものはない。催してしまったら一種の修行だと思って諦めてしまおう。耐尿道の修行だ。だって我慢するしかないではないか。 友人達と一緒に乗っていたとしても涼しい顔して尿意を我慢するのだ。そんなことはどこ吹く風、皆…

10、神崎青年の家でのこと

私が小学5年生のころ学校の行事で学年全員が神崎にある神崎青年の家に行った。当時の私は行事というものが好きではなく、どこに出かけるのも嫌々で神崎青年の家もその一つであった。 青年の家に着くとそれぞれ班に分かれて行動するのだが、これが嫌でたまら…

9、やがて哀しきテキストサイト

私が20代の頃、ネットにはテキストサイトなるものが全盛を誇っていた。あのブームはなんだったのだろうと今にしては思うが、当時は己の文章力、ライティングスキルの発揮場所と言ったら自らが運営するホームページ上での日記というステージがメインであった。…

8、なまこの記憶

小学1・2年の時の担任の教師は清水生子先生という当時20代の若手の教師で、やたらとまばたきの多い年若い女性であった。「生子」と書いて「しょうこ」と読むのだが、当時の学友達は「なまこ」先生とかなり際どいスラングで呼んでいて、けしからん風潮であっ…

7、転校生への洗礼

私は小学1年の時に佐倉から安食へと引越した。佐倉での学童時代は1学期しかなく殆ど覚えていないのだが、引越し先での小学校での出来事は鮮明に覚えている。 まずびっくりしたのは新しい学友達の手の挙げ方である。教師が問題を出して、答えられる人を指す前…

6、筋ドルの怒り

小学3年の頃だと思う。私と悪友達は担任の佐藤先生に引っ叩かれた。 確か4人で掃除の時間なのに教室で野球をやっていた。ボールは新聞紙を丸めガムテープで固めたもので、バットはホウキを使用していた。そんな急ごしらえの道具で遊戯に没頭していたのだ。真…

5、憧れのスピードスター

大学時代は金は無いが時間だけは大量にある言わば黄金時代だ。私はその4年間を学業に捧げず友人との享楽に費やした。 遊びは主に私と山ちゃんと平塚の3人で執り行われ場所は山ちゃんちと決まっていた。3人の年頃の男達が集まって何をしていたかというと殆ど…

4、変な劇作家

小学校の卒業式直前に卒業生を送る会というものが催された。 そこで私達6年1組は劇を披露することになり、脚本は私が担当する段取りが組まれた。担任の渡辺先生からの直々の依頼であったのだが、何故に私が選ばれたのか分からない。しかし私は当時、文章を書…

3、塾講師のアルバイト試験

塾講師のアルバイトは大学生がするもので、いい大人が年甲斐もなくやるものではないと思う。 それなのに私は31の時、成田にあるとある個別塾の講師募集の採用チラシに飛びついてしまった。 当時やることもなく家の中でぶらぶらしていた私にとって塾講師のア…

2、高崎へ珍道中

私が大学生の頃、高崎に住むおじちゃんの家に遊びに行ったことがある。私と妹と従姉妹と婆さんとその婆さんの妹の5人で。 地元から上野までは鈍行と快速を乗り継ぎ、上野から高崎までは新幹線で行く手はずになっていた。新幹線などは高校の修学旅行以来で否…

1、Yちゃんにまつわるトラウマ

私の女性遍歴は華やかなものではなく初めて付き合ったのは24歳のときであった。相手は19歳の通信制の高校に通っている妖艶な女の子で、森高千里にうっすら似てるかわいい娘だった。Yちゃんとしておこう。 当時の私はまだクルマを運転していて、よくドライブ…