2、高崎へ珍道中

私が大学生の頃、高崎に住むおじちゃんの家に遊びに行ったことがある。私と妹と従姉妹と婆さんとその婆さんの妹の5人で。

地元から上野までは鈍行と快速を乗り継ぎ、上野から高崎までは新幹線で行く手はずになっていた。
新幹線などは高校の修学旅行以来で否が応でも胸が高まった。皆同じく興奮しているようだ。
とっくの昔にあがったであろう婆さんと婆さんの妹も期待で胸が熱くなっているのか目を輝かせていて、無駄に新幹線の車内で茶や菓子などを購入しては飲食していた。

皆独自に楽しんでいる最中、汽車は無事高崎に到着した。
新幹線から降りる際には改札口で普通の乗車券と新幹線の切符を同時に挿入しなければいけないのだが、婆さんの妹は間違えて普通の乗車券だけを入れ新幹線用のは忘れてしまった。
当然の如く改札口の小さな扉は閉まって、婆さんの妹は「ひいっ!」と驚きその場で立ち往生した。すかさず従姉妹が「2枚同時に入れるんだよ」と助言し、婆さんの妹は渡りに船とばかりに2枚同時にいれ事無きをえた。

この驚きようが胸を打ったのか分からないが、婆さんは自らの妹をここぞとばかりにからかった。「いやあ、おせ(婆さんの妹の名前)のびっくりかたったらなかったね。ガチャン、ひょーびっくり、ひょーびっくり、とこういうわけだよ」と形態模写し大袈裟にふざけてみせた。婆さんの妹は「しょうがないじゃないか。知らなかったんだから。まるで警察に捕まったようだったよ」と先の行為の弁解をしたのだが婆さんは、いいえいくらでもからかってあげますよと「ガチャン。そーれびっくり、そーれびっくり!」と追撃の手を緩めなかった。

婆さんの奇行で無意味に険悪なムードに包まれながらも我々は無事、高崎のおじちゃんの家に到着した。
高崎のおじちゃんは我々の来着を大いに喜び、豪勢な寿司をもって歓待してくれた。

寿司に舌鼓をうちながら皆よまやまばなしに花を咲かせている最中、おじちゃんは年若い私に興味を示し「健一君(私の名前)は大学で何を勉強しているのかね?」と質問してきた。私は「経営学です」と答えると「ほー経営学ねぇ。経営学かぁ」と私はおじちゃんのハートに火をつけてしまった。おじちゃんは「経営学とはまた立派な学問をやっているねぇ。授業はさぞ楽しいだろう」などと発言した。いえいえ毎回ポッキー食べながら講義は聴いていますなどと応えられるはずもなく「はい。まあボチボチです」とお茶を濁した。

後日聞いたところによるとおじちゃんは松下幸之助の直弟子だったらしく、松下電器の関東支部の社長だったというのだ。そんな事知ってればツテでいい就職先が見つかってたかもしれない。後悔してももう遅い。その後20代私は冬の時代を迎えることになる。
そもそもポッキー食べながら勉強してる時点で周りの人間とは大きな差ができてしまっていたのだ。