13、赤兎馬個別指導塾

私は大学時代、自宅の一部屋を教室にしたマンツーマンの個別指導塾を開いていた。
経営者も従業員も私一人のお気楽なアルバイトであった。

家庭教師を経験したことのある人は分かると思うが、教える事の容易さは生徒の学力や理解力にかなり左右される。
簡単に言うと生徒が頭が良ければ教えるのが楽だし、逆に生徒の頭が残念だと教えるのが困難になる。

その生徒の中に中島君という男子中学生がいた。
中島君はあまり頭が良い方ではなかった。
それはともかくこの子は勉学よりも雑談を好んだ。
私は親御さんから時給2000円もらっていたので、雑談に時間を割くことは申し訳ないと思っていたのだ。
しかし中島君から仕掛けてくる雑談を無碍にするのも憚られるので、若干はその話に乗ってあげてたりした。

当時の中島君は三国志にはまっていて、ことあるごとに我らを三国志の世界に導いた。
やれ呂布張飛赤兎馬だと教室は戦場と化した。
時に中島君が劉備で私は曹操となり数度私は首を刎ねられた。

首から上がない状態で授業をしなければならず、不覚にも三単現のSを教えてる最中に放屁などをした。
中島君は笑い、私も笑った。
このように中島君との授業は楽しかった。

毎回馬に乗り荒野を駆けずり廻った挙句、中島君は見事第一志望の高校の推薦合格書を手に入れた。
中島君も私との三国志授業を気に入ってくれていたらしく最後の授業の時別れを惜しんでくれた。
私は中島君に幸あれとばかりに背中をポンと軽くたたき、高校に行っても学問に励むのだよと送り出した。
劉備曹操の元を笑顔で去っていった。